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バタイユの思想とエネルギー問題 1

 フランスの思想家、作家であるジョルジュ・バタイユと言えば、自らを聖人もしくは狂人と称し、神秘主義に傾倒して秘密結社「無頭人(アセファル)」を結成し、『マダム・エトワルダ』、『眼球譚』のような倒錯的な小説を書いた人物として知られています。その晩年の著作『至高性 呪われた部分-普遍経済論の試み 第3巻』(人文書院、湯浅博雄・中地義和・酒井健訳)において、バタイユは普遍経済学という独自の理論を展開します。

 バタイユは太陽がほぼ無限のエネルギーを放出しているという現代天文学の発見を基に、「地球上の生物にあっては、生産されたエネルギーの総量は生産に必要なエネルギーの素量をつねに上回っている。したがって余剰エネルギーが恒常的に存在している」(『バタイユ入門』ちくま新書、酒井健、p.210)という原則を立てます。これだけのエネルギーがあったからこそ、地球上の生命はここまで進化、発展できたわけです。それではこの余剰エネルギーはどう使われるのでしょうか。彼は「至高性」という概念を導入して説明します。

 バタイユは「至高性」という性質を「かつては首長とかファラオ、王、あるいは諸般の王と呼ばれた人々」(『至高性』p.8)の特性であるが、「本質的にはあらゆる人間に属している」(p.9)ものであり、「けっして有用性というものによって正当化されることのないようなかたちで諸可能性を享受すること」(p.10)と書いています。つまりそれは「一種の戯れ=賭け」(p.49)であり、未来のためではなしに物やエネルギーなどを蕩尽することで到達できる「有用性を超えた彼岸の領域」(p.10)にあるものです。例えばエジプトのピラミッドのような、多くの労働者の労働の蓄積で生まれた、現実的には役に立たない巨大建造物は至高性を獲得していると言えます。目的も実用性も持たないエネルギーの一瞬の輝き。若いときにバタイユと親交のあった岡本太郎の「爆発」に近いものではないでしょうか。
 
 至高性を持つ者の対極にあるのは奴隷であり、至高者と奴隷の間には「原則として、労働へと拘束されている人間は、それなしには生産活動が不可能になるような最低限の生産物を消費する。その逆に至高者は生産活動の超過分を消費するのである」(p.10)という関係が成り立ちます。マルクス経済学ではその超過分の一部が資本の蓄積に充てられ、生産規模が拡大していきますが、バタイユはその蕩尽される部分に注目したわけです。

  しかしこの至高性は、王のような特権階級のみに許されたものではありません。例えば労働者が一杯のワインを飲むという行為でさえ、それが「元気や体力を回復するため」(p.11)、つまり未来の生産活動のために飲むのではなければ「少なくとも一杯のワインはある短い瞬間、自分が世界を自由に取り扱っているという奇跡的な感覚をその労働者に与える」(p.12)ことになります。この蕩尽によって得られる「奇跡的な感覚」は至高性の基底にあるものとバタイユは論じています。
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大熊座から来た男

Author:大熊座から来た男
HNは池澤夏樹『スティル・ライフ』より。
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CV:今井麻美、斎藤千和推奨。

膵腺房細胞癌という非常に珍しい病気と闘いながら、気候変動(特に北極圏問題)や気候工学(ジオエンジニアリング)について学んだ情報を発信していきます(体調不良のため、最近は闘病ブログになりつつあります)。気候学は独学で勉強中なので、いろいろとご指摘お願いします。

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