スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

極私的定食論:今柊二『定食と古本』


そうだ、ローカル線、ソースカツ丼 (文春文庫)そうだ、ローカル線、ソースカツ丼 (文春文庫)
(2011/04/08)
東海林 さだお

商品詳細を見る


 最近重い話題が続いたので、ちょっと息抜き。病院の図書室でB級グルメエッセイの大家、東海林さだおの『そうだ、ローカル線、ソースカツ丼』で京都定食屋ツアーや、定食評論家、今柊二との対談を読み、以前から読みたかった今氏の『定食と古本』を友人に図書館から借りてきてもらいました。内容は世界最大の古本の町、東京神保町の定食屋紹介や、全国各地の古書店と定食屋を巡る旅と、まさに僕の関心のど真ん中というところでしたが、これを読んで僕も私的な定食論を書きたいと思いました。


定食と古本定食と古本
(2012/03/22)
今 柊二

商品詳細を見る

 東海林氏と今氏の対談によると、定食屋はさらに細かく「(狭義の)定食屋」、「駅前食堂」、「大衆食堂」の3つに分類できるとされています。このうち駅前食堂は、早く食べられる(電車に乗り遅れないため?)、家族で入ることを考慮してメニューが多様という特徴があり、ポイントとなるメニューは当たり外れの少ないカツ丼。大衆食堂はお酒を飲む客が多いことが特徴で、ポイントとなるのはもつ煮込み。それに対して(狭義の)定食屋はサバの味噌煮が象徴的メニューとなります。

 しかし東海林氏が「そうだ、京都、定食屋!」で書いているように、僕の住んでいた京都の定食屋ではあまりサバの味噌煮は見られず、その代わり醤油やみりんなどで煮込んだサバ煮が中心となります。その代表的なお店が、作中で東海林氏が訪れている「定食おたくの聖地」、上賀茂の今井食堂でしょう。サバ煮のことについてはあとで書きますが、味噌煮にせよ醬油煮にせよ、魚(特にサバ)の煮込みが定食屋を象徴するメニューであることは間違いないでしょう。

 けれども、この分類の「(狭義の)定食屋」で出されるメニューのすべてが定食の名にふさわしいものとは僕は思いません。より定食原理主義的に言えば、他の専門店で食べることができるメニューは定食屋で食べる意味があるとは思いません。東海林氏も(定食屋で)「カレーライスなんか食っている人見るとすごい腹が立つ!」(p.108)と怒っていますが、カレー、麺類、トンカツなどは、わざわざ定食屋で食べなくてもいいものの代表でしょう。それ以外にもレバニラや麻婆豆腐などは中華料理屋で、ハンバーグなども洋食風の本格的なものは洋食屋で食べたほうがいいでしょう(家庭風のものは定食屋の方がいいですが)。牛肉やエビなどの高級食材を使ったものも、定食屋の価格帯ではあまり期待できません。

 そして最も大切なことは定食における三種の神器、ご飯、味噌汁、お新香に合うということです。これを考えると、狭義の定食の代表メニューは以下のものになると思います。
・魚(主にサバ)の煮込み
・焼き魚(サバ、ホッケ等)
・アジフライ
・生姜焼き
・肉野菜炒め
・鶏のから揚げ
・和風ハンバーグ
・コロッケ
・ミンチカツ
・チキンカツ
これに新興勢力としてチキン南蛮、絶滅危惧種としてハムカツなどが加わるといったところでしょうか。

 ここで僕にとっての定食ベスト5。思いで補正のため、京都一乗寺の店に集中しています。
1.チキンしょうゆ揚げ(一乗寺、あいかむ)フリッター風の揚げ物。塩コショウで食べる。シンプルでいて味わい深い。
2.ミックスフライ定食(一乗寺、せんなり)鮭コロッケが最高。小鉢も充実。
3.ミックスグリル定食(やよい軒)チェーン店の安定した味。バラエティーに富んでいる。
4.豚肉と茄子の味噌炒め定食(一乗寺、花梨)鉄板の組み合わせ。甘辛さでご飯が進む。
5.ささみフライ定食(福井、大陽食堂)副菜の肉野菜炒めがもう一つの主菜レベル。

 最後に僕にとって理想の定食を。先述の上賀茂の今井食堂は京都の有名定食屋で、3日かけて真っ黒になるまで煮たサバ煮は遠方から通う人も多い絶品です。僕も一度行きたいと思っていましたが、上賀茂という市の中心から離れたところにあることと、あいかむの唯一の和食メニュー、和洋定食のサバ煮がおいしかったため、結局まだ行っていません。あいかむの店長は元ホテルのコックで、そのためかメニューはこのサバ煮以外すべて洋食系です。しかしこのサバ煮は絶品で、これと本来セットになっているチキンカツを、もう一つの大好物であるチキンしょうゆ揚げに替えて僕だけの和洋定食を一度作ってもらえないか、もしまた京都に行けたら頼んでみたいと思います。

ブログランキングに参加しています。皆様のクリックが励みになります。




環境問題・保護 ブログランキングへ
スポンサーサイト

精神的ドッペルゲンガー?:鷲田清一『モードの迷宮』にまつわるエピソード

プライバシーのため一部変更してありますが、この話はほぼ事実です。
本の内容についてはほとんど触れません。

 3年ほど前の初夏、病気が発覚するちょうど1年ぐらい前に京都に行ったときのことです。大学時代の後輩と学校の近くで飲んだ後、四条烏丸のホテルに帰ろうとバスに乗っていたらまだ少し飲みたくなって、四条河原町で降りて木屋町のバーに入りました。初めて入る店でしたが、週末なのでかなり混んでいて、カウンターの他のお客の間の席に案内されました。隣の女性は一人客のようで、カクテルのグラスを傾けながら文庫本を読んでいました。

 僕が席に着いたあたりで、彼女はスコットランド、アイラ島のシングルモルトのボウモアを水割りで注文しました。僕も好きな酒だったので、女性でアイラモルト好きは珍しい(かなり癖があります)と思ってどんな人か興味が出てきました。30前後の洗練された感じのする人で、どことなく旅行者のような感じを受けました。そして彼女がカウンターに置いていた文庫本の背表紙を見てみると、大阪大学総長の哲学者、鷲田清一がファッションについて考察した『モードの迷宮』。僕も修士論文の参考文献の一冊にしたことのある本です。これがきっかけで声をかけました。


モードの迷宮 (ちくま学芸文庫)モードの迷宮 (ちくま学芸文庫)
(1996/01)
鷲田 清一

商品詳細を見る


 話してみると、やはり彼女は東京からの旅行者で、祖母の出身地である京都が大好きで年に何回も訪れていること、東京で芸能関係の業界で働いていること、小説家や翻訳家志望で、翻訳の学校に通ったり、新人賞に応募していること(1次予選は通過することが多いそうです)とのことでした。また鷲田清一がコム・デ・ギャルソンの服をよく分析対象にしていることを彼女が話したら、僕は「今着ているシャツ、ギャルソンですよ」。僕が京都のよく行くセレクトショップの姉妹店の名付け親が、クリストフ・ルメール(現エルメスのレディース部門デザイナー。ガールフレンド(仮)ではない)であることを話せば、「私のこのジャケット、ルメールです」など、奇妙な一致がありました。

 それ以外に文学、映画、音楽等の話をしましたが、趣味や嗜好にかなり共通点があります。彼女が最高の恋愛小説として挙げたのが三島由紀夫の『女神』と、谷崎潤一郎の『春琴抄』で、僕は乱歩の『押絵と旅する男』。トリュフォーやフェリーニの映画、ザ・スミスやキング・クリムゾンのようなブリティシュロックなどの話をしましたが、お互いこれほど話が合う人は珍しかったでしょう。なんだか気味が悪いぐらいでした。彼女もそう感じていたようで、名前も聞かずに別れました。

 ドッペルゲンガーと呼ばれる現象があります。自分とそっくりな外見の人物のことで、この人物に遭遇すると本人は近いうちに死ぬと言われていて、現在は脳障害の一種ではないかとされています。日本では芥川龍之介が自殺前に遭遇したと話していたことが有名です。僕たちのケースは、外見ではなくいわば精神的な意味でのドッペルゲンガーになるのでしょうか。こういった場合はどうなるのでしょう。このちょうど一年後、僕はがんを患っていることがわかりましたが、彼女の身に何か起こっていないか心配です。

ブログランキングに参加しています。皆様のクリックが励みになります。




環境問題・保護 ブログランキングへ

除夜の京都とミステリ談義:有栖川有栖『江神二郎の洞察』


江神二郎の洞察江神二郎の洞察
(2013/12/27)
有栖川 有栖

商品詳細を見る



 本格推理作家、有栖川有栖の作家と同じ名前の大学生を主人公に、彼の所属する推理小説研究会の江神二郎部長を探偵役とする通称「学生アリス」シリーズは、デビュー作の『月光ゲーム』より約25年で5冊のスローペースながら、エラリー・クイーン的な論理を重視する本格ミステリと青春小説を融合させた作風で根強い人気があります。その初めての短編集が去年刊行された『江神二郎の洞察』です。

 「学生アリス」シリーズは、作者の母校である同志社大学をモデルにした英都大学のEMC(英都大学推理小説研究会)がサークルの合宿などで訪れた土地で殺人事件に巻き込まれていくという展開なので、京都が主な舞台になることはありませんでした。しかしこの短編集では、一部を除いては大学や部員たちの下宿など、京都の上京区や左京区などが舞台となり、起こる事件も殺人などは少なく、「下宿においてあった大切な講義ノートはだれが盗んだのか?」や、「古本屋の主人が突然大盤振る舞いを始めた理由は?」といった、日常の謎が中心となります。

 その中で書き下ろし作品であり、事件は何も起こらずアリスと江神部長が除夜の京都を歩きながらミステリ談義をするという「除夜を歩く」について書きたいと思います。ちなみに短編のタイトルは、有名なミステリや文学作品から採られたものが多く、「除夜を歩く」は横溝正史またはディクソン・カーの『夜歩く』、他にも「瑠璃荘事件」、「やけた線路の上の死体」、「四分間では短すぎる」など、どこかで聞いたようなものが並びます。

 僕にとってこの短編が魅力的なのは、作中で二人が交わすミステリの論理の虚構性を巡る議論より、それがなされる状況です。大学1回生のアリスは、わけあって何年も留年を繰り返し、自分よりだいぶ年上の4回生の江神部長の今出川近くにある下宿から、京都御所、鴨川デルタ、川端通りに沿って三条、四条を経て八坂神社へとおけら火(薬草の根でできた木を燃やした火)をもらいに夜の京都を二人で歩きます。博識で頼りになり、夏の合宿で起こった陰惨な殺人事件を解決した憧れの先輩と大好きなミステリの話をしながら、除夜の京都という特別な空間を体験するアリスの高揚が伝わってくるようです。また京都に暮らしたことのある人なら、二人の歩いている場所の情景が目に浮かぶようでしょう。

 学生時代、お金もなくまだ自分が何者かもわからず、しかし時間と情熱だけは有り余っていた時代、このように先輩や友人と全く何の役にも立たないことで夜を明かした経験のある人は多いでしょう。今思うと、なんと贅沢な日々だったのでしょうか。また僕が学生のころはまだ、江神先輩のようにいったい何をしているのかわからない、謎の上回生がまだ大学にいて、よかれ悪かれ大きな影響を後輩たちに与えていましたが、今はそのような学生も少なくなってきているように思います。

 そしてこのような物語がしっくりくるのは、やはりゆったりとした時間が流れ、若者や異邦人に対し寛容な京都という土地だからではないでしょうか。彼らはこの土地でつかの間、社会のシステムの制約から解放されて非生産的、遊戯的な自由を謳歌します。おけら火をもらった後、どのようなルートで帰ろうか迷うアリスに対し、江神部長はこう言います。「気ままに歩いたらええやないか。京都の道は碁盤の目や。なんぼでもルートはある」(352)。

それでは、よいお年を。

ブログランキングに参加しています。皆様のクリックが励みになります。




環境問題・保護 ブログランキングへ

病院食と開高丼:『孤独のグルメ』、『地球はグラスのふちを回る』

病院の朝食。おかゆ嫌い。

20131116075430.jpg

 胃の出血の可能性があったため、検査のために数日間入院していました。特に大したことはなかったみたいで今日退院しました。胃カメラの検査のため、2日間絶食していたのですが、そこで思い出したのは僕の人生のバイブル、『孤独のグルメ』の特別編、入院食の回。中年男の主人公が定食屋などで食事するだけのこの漫画の中で、肋骨の骨折のために入院したときの食事について描かれている異例の回です。

孤独のグルメ 【新装版】孤独のグルメ 【新装版】
(2008/04/22)
久住 昌之

商品詳細を見る

 食欲旺盛な主人公は、隣のベッドで看護師に食事を柔らかくつぶしてもらった老人がそれを弱弱しくすすっているのを見て、「それでもひとり食べるんだな」「生きているということは体にものを入れてくということなんだな」と思います。

 物理的に考えれば、身長170cmちょっと、体重少し落ちて52kgほどの僕は、一日に約2000kcalを消費する熱効率40%ほどの熱機関となります。それを維持していくのに、必要なタンパク質、ビタミン、ミネラルを含む同じだけのエネルギーを持つ食物と2リットルほどの水が必要とされます。生命の維持とは、結局のところこの物質の循環です。

 そして食物とは、同じような循環によって維持されてきた他の生命です。人間は食物連鎖の頂点に立つ生物として、捕食される危機を感じることなしに、他の生命を体に取り込むことで生命を維持しています。そして食事は単なる生命活動維持の義務ではなく、自分が生き延びるために他の生命を奪い、それを取り込むというエゴイスティックな行為に快楽を覚えることでもあります。食べる行為は、生と死が交錯する場に他なりません。

 このような人間の業と快楽を徹底して追求した先人の一人に、作家の開高健がいます。記者としてベトナム戦争に従軍し、ゲリラの攻撃を受け200人中17人しか残らなかったという文字通りの九死に一生の体験をした後、彼は父親の故郷である福井県の旅館に宿泊します。冬の福井の味覚と言えば越前カニですが、そこで焼きカニやカニ刺しなどで一通りその美味を堪能した後、主人が出した二合のご飯の上に、越前ガニのメスであるセイコガニの身や卵巣などを八杯分乗せた丼の味に感激し、それ以来このシンプルかつ豪快な丼は開高丼と呼ばれる旅館の人気メニューとなりました。

 開高健の食にまつわるエッセイの最高傑作、「越前ガニ」からこのセイコガニについて描かれたところを引用してみます。擬音語や形容詞で畳みかけるような独特の描写が特徴的です。また彦麿呂の決め台詞の元ネタでもあります。


地球はグラスのふちを回る (新潮文庫)地球はグラスのふちを回る (新潮文庫)
(1981/11/27)
開高 健

商品詳細を見る


「雄のカニは足を食べるが、雌の方は甲羅の中身を食べる。それはさながら海の宝石箱である。丹念にほぐしていくと、赤くてモチモチしたのや、白くてベロベロしたのや、暗赤色の卵や、緑色の“味噌”や、なおあれがあり、なおこれがある。これをどんぶり鉢でやってごらんなさい。モチモチやベロベロをひとくちやるたびに辛口をひとくちやるのである。脆美、鮮鋭、豊満、精緻」(『地球はグラスのふちを回る』新潮文庫 p.96)

 生と死が交錯する戦場の激烈な体験の後、80年代に入ってからは開高健は小説家というよりむしろ美食や釣りに関するエッセイストとして活躍します。この美食という行為も、やはり業を背負った人間のエゴを極限まで追求する戦場のようなものだったのではないでしょうか。僕もこれからもおいしいものをいっぱい食べていきたいのですが、その行為に見合うための義務、つまりその生命を生み出す生態系を保持するという仕事を全うしたいと思います。今週末には、開高丼食べてきます。

ブログランキングに参加しています。皆様のクリックが励みになります。




環境問題・保護 ブログランキングへ

「着ている、生きている。」:デレク・ジャーマン『Blue』とBrutus 2013 4/1号


ブルー [DVD]ブルー [DVD]
(2000/05/25)
デレク・ジャーマン

商品詳細を見る


 学生時代、京都と大阪のミニシアターに通っていたときに観た映画に、イギリスの映画監督デレク・ジャーマンの『Blue』という斬新な作品があります。最初から最後まで画面は青一色で、エイズに侵され死期が迫っている監督の病気や生活、思索に関するモノローグが流れます。記憶が正しければ、死を前にした切迫感と不思議な昂揚感に満ちた映画だったと思いますが、その中で印象的な場面(音声だけですが)がありました。街を歩く監督がショーウインドーに素敵な靴を見つけるのですが、彼は「天国に行くには今履いている物で十分だ」と思い買わずに立ち去ります。死とは新しい靴が必要なくなることなのです。

 靴だけではありません。洗いたてのオックスフォード生地のボタンダウンシャツのゴワッとした肌触りも、長年着続けて柔らかくなったツイードの素材感も、上質なラムズ・ウールのニットの滑らかな感触も感じることはできません。「死とはモーツアルトが聴けなくなること」というのはアルバート・アインシュタインの有名な言葉ですが、肉体を失うことは洋服や靴を楽しむことができなくなるということなのです。

 この映画のことを思い出したのは、今年の3月に今通っているのとは別の病院にセカンド・オピニオンを聞きに行った帰り、病院の売店である雑誌の表紙を見たときです。その時期は今まで進行が止まっていた(もしくはそう見えた)病気の進行がわかり、医師に余命を宣告され何とか効果のありそうな治療法はないか自分で論文を探し始めた頃でした。膵臓の病気に詳しい先生を紹介してもらい、僕の勤めている大学の附属病院まで(医学部は工学部のキャンパスからかなり遠いのです)バスで1時間以上かけて行ってお話をうかがい、帰るまでのバスの待ち時間に寄った売店で雑誌Brutusの表紙が目を引きました。春のファッション特集号なのですが、表紙は下着姿の白人男性で、その下のコピーが「着ている、生きている。」。普段はBrutusのファッション特集は、メゾンブランドのカタログ的でリアリティーがないので買うことはめったになかったのですが、この表紙を見ただけで手に取ってレジに向かっていました。


BRUTUS (ブルータス) 2013年 4/1号 [雑誌]BRUTUS (ブルータス) 2013年 4/1号 [雑誌]
(2013/03/15)
不明

商品詳細を見る


 食べることは生きることとよく同一視されます。生物である人間が自分の生命を維持するために不可欠な行為だからということは言うまでもありません。フランスの美食家ブリア・サヴァランの『美味礼賛』の「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」という言葉も有名です。しかし人間が同時に社会的存在で、ほとんどの場合他人に衣服を着て接しているということを考えると、衣服にも同じことが言えるのではないでしょうか。僕の尊敬する人生の達人、池波正太郎と開高健は食通として有名ですが、同時に衣服に関しても一家言も二家言も持っている人物でした。

 Brutusのシンプルにして本質を突いたコピーが示すように、「いきる」という言葉の中には「きる」が内包されています。無理に解釈すれば、残った「い」=「胃」で食を、「き」を取った「いる」=「居る」で住居を、となり衣食住のすべてがこの言葉に含まれることになります。

 ここまで書いていて思い出したことがあります。去年の夏の終わり、最初の化学療法を受けて退院した数日後、9月も近づいていたため自室で夏物の整理をしていた時のことです。シアサッカーのジャケットやマドラスチェックの半袖シャツを洗濯し、整理用の箱に詰めていたときに、自分は何をしているんだろうと思いました。当時の僕は化学療法が効くかどうかわからず、効かない場合はあと数か月しか生きられないという状態でした。来年の夏に着ることもできない服を大事にして何の意味があるのかと。しかしその服を見ていると、京都に住んでいた時期に友人たちと共に白川の疎水に蛍を見に行ったとき、また精密検査を受ける前日、不安でたまらなくてバーに友人を呼びだしていろいろバカな話をしていたとき(僕はノンアルコールでした)、それを着ていたことを思い出しました。大事にされた洋服は単なるものではなく、記憶の媒体でもあります。来年の夏まで生き延びて、この服に新たな記憶を刻もうと思い、それは現実になりました。

 人間は生きている以上、牢獄の中でも収容所の中でも「着る」ことから逃れることはできません。それならば、どんな状況にあってもその行為に気を遣い、楽しむことは生きることの一部であるでしょう。僕の病気は、治療に全力を尽くしますがこれからどうなるのかは分かりません。しかし、たとえ病院で最後を迎えることになっても、入院着が少しでもかっこよく見えるために気を配るような余裕を持っていたいです。

写真は19歳の時に買って以来、人生の半分以上を共に過ごしてきたSaint Jamesのボーダーシャツ。
20131014213613.jpg

ブログランキングに参加しています。皆様のクリックが励みになります。




環境問題・保護 ブログランキングへ
プロフィール

Author:大熊座から来た男
HNは池澤夏樹『スティル・ライフ』より。
ブログ名は、ツンデレ美少女風に読んでください。
CV:今井麻美、斎藤千和推奨。

膵腺房細胞癌という非常に珍しい病気と闘いながら、気候変動(特に北極圏問題)や気候工学(ジオエンジニアリング)について学んだ情報を発信していきます(体調不良のため、最近は闘病ブログになりつつあります)。気候学は独学で勉強中なので、いろいろとご指摘お願いします。

このブログはリンクフリーです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2ブログランキング
ブログランキングに参加しています。 クリックしていただけると嬉しいです。

FC2Blog Ranking

フリーエリア
こちらもクリックしていただけると嬉しいです。
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。